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「嫌よ嫌よも好きのうち」「ちにあしがつかず」ステイトメント
鈴木淳(出品作家)ステイトメント
私は1995年より現代美術としての作家活動を開始し、表現方法にとらわれない多種多様な創作活動を展開してきました。 ビルの監視カメラに自身の写真を貼り付けた「監視写真」(1999年)、混雑する通路に一本の白線を引くことで瞬時に人の流れを左右に分断した「ホワイトライン」(1996年)など、場の見え方・考え方、人との関係性をずらしていく行為のこれらは、我々が知らず知らずのうちに身体・感覚・記憶に刷り込まれている都市の機能やシステムを揺らしていく試みでもありました。 また、鈴木淳展「こんなトコで、あんなコト」(福岡県立美術館 2001年)や、取手アートプロジェク2004に参加した「もろ、もろもろ、もろもろ」(2004年)、熊本市現代美術館「ピクニックあるいは回遊」展での「熊本城築城401年祭」(2008年)では、複数のコンセプトによる複数のプロジェクトをバラバラに展開していきました。秩序をもつ以前の多様性そのものの状態、言葉や概念で説明できる統一した世界観を持たない状態、そういうありのままの状態の中から、切実なものを紡ぎだし共感を生み出していく試みでもありました。 パフォーマンスとしては、訪れた人を木にみたてて描く「似木絵、どうです?」(2000年〜)などがあり、日常の思考回路に介入し、多様な価値観・関係性を参加者と共同で構築する行為ともいえます。 2000年12月より日々制作し続け、現在500を越える数のビデオ映像は、一つ一つは別々のコンセプトが存在する独立した作品ともいえますが、いずれも簡素な編集作業を施した断片的な日常風景を写し取ったもので、私達と日常との関係性を再構築する試みともいえます。映像作品の全体のタイトル「だけなんなん/so what?」(北九州弁で「だから、どうしたの?」という意味)とは、「私達」と「世界」とを行き来する、答えを必要としない永遠の問いかけでもある訳です。 私は熊本市現代美術館での今回の展示会「へるんさんの秘めごと」において、「小泉八雲」を巡るプロジェクト(全体のタイトルは「八雲をさがして」)の中で、参加者を募り、以下の二つの行為を撮影し、ビデオ作品を制作します。 1.首を振る動作(タイトルは「嫌よ嫌よも好きのうち」) 「小泉八雲」が、写真を撮られる時、失明した左眼が写らないように、顔の右側をカメラに向けて撮影に臨んだことは、有名な逸話です。これは終生変わることはありませんでした。その「小泉八雲」の身体の記憶というべき行為をくり返し再現する訳です。 2.軽く飛び上がる動作(タイトルは「ちにあしがつかず」) 「小泉八雲」は、欧米各地を転々とする生活の後、日本に渡り、英語教師として生活しました。異邦人として「小泉八雲」は日本だけにとどまらず、彼の人生全体に、周りとの違和感としてあったのではないかと、私は考えました。 これら映像は、いずれも編集され、延々と同じ動作をくり返す映像作品となります。いわば、一般参加者をパフォーマーにしてしまうこのプロジェクトは「小泉八雲」の肉体や精神を象徴し具現化するものとなり、と同時に、私達と日常との関係性をも再構築することとなります。全体のタイトル「八雲をさがして」とは、「小泉八雲」を探すと共に、現在の私達の在り様を探す小さな旅でもある訳です。
| へるんさんの秘めごと(小泉八雲)展 | 10:55 AM | comments (x) | trackback (x) |
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