CAMKブログCAMK Blog

美術館の日常のあれこれをお伝えします。

「ミュシャ展 マルチ・アーティストの先駆者」館長挨拶

2024.02.09 , , ,

「ミュシャ展」は本当に素晴らしい作品が集まりました。私は一足先に拝見しました。

日本人には、ミュシャのファンが多いです。私も高校生のときに自分の部屋にミュシャのポスターが貼ってあったのを思い出しました。
なぜ、こんなに日本人がミュシャを好きなのか考えると、装飾性とかデザイン性もありますが、ポスター以外の今回はじめてみた素描とか挿絵の原画の、着彩の濃淡や線の強弱が好きなんだなというのがよくわかります。オーガニックという言葉が合っているかわかりませんが、人工的ではない自然のゆらぎや強弱、植物がもっている繊細さというものが一本一本の線や濃淡に表れている。その部分が日本人好みなんじゃないかなと思います。
世界的にミュシャが認められるようになったリトグラフのポスターを、素描と対比して見てみると、もしミュシャがその時代にヨーロッパではなく日本で生活していたら、きっと違うタイプの作家になっていっただろうと思います。日本にいたら、線の美しさというのは例えば書家との出会いがあったと思います。そしてもし、現代にミュシャが生まれていたら、人物を捉える力とかデザイン性で、アニメーター的な能力もきっとあったのではないかと思います。

作家というのは社会の中で影響されやすいです。いろいろなものを取り込んで発信する能力に長けているのが、アーティストの所以だと思います。もっている才能や生まれついてもっているものはありますが、それがどう活かされるかは、時代とか土地とか、時代の政治とか経済とかに、大きく左右されていきます。しかし、ミュシャのもっている、バランスとか線の美しさというのが、様々なポスターやビスケットの缶やお皿、化粧品の瓶というものに変換されても一貫性があり、どこの時代にいても、どこにいても、どのような表現をしたとしても、やはり一貫性のあると思います。
会場入口のミュシャを紹介する映像の中で、14歳のときにミュシャが恋した女性にあてた手紙に添えたイラストがありました。14歳でこういう線が描けるんだ、と思いました。誰でも筆跡があるように、彼がもっている癖なんだろうと思います。癖というか、歳をとっても変わらない声に近いです。もっているものが線に表れているんだろうなと思います。

ぜひ様々なミュシャの魅力をみて、どうしてこれが日本で長年にわたり好まれているのかを振り返りながら、我々の文化は何なんだろうといったことも想像して、自分にしっかり置き換えて、みなさんの今日の中に展開していただけると、作家が作風に残したメッセージを引き継ぐことができるかなと思います。

本日はありがとうございました。

日比野克彦

カテゴリ別一覧Categories

月別アーカイブArchive