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美術館の日常のあれこれをお伝えします。

「段々降りてゆく-九州の地に根を張る7組の表現者」が終了しました。

2021.06.19 ,

熊本市現代美術館で開催していた展覧会「段々降りてゆく-九州の地に根を張る7組の表現者」が終了しました。

3月27日から6月13日まで開催予定だった同展、しかし当館は、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、4月27日から臨時休館となりました。一方で、熊本県に発令された蔓延防止等重点措置の期間も6月13日まで。行政やスタッフ、作家の皆さんとも相談し、作品の撤収や次の展覧会までの準備期間も遣り繰りして、なんとか18日までは会期を延長できるように準備し、待機していたのですが、結局、開館することは叶いませんでした。

 

「段々降りてゆく」という、この不思議なタイトルには、1923年、熊本県水俣市に生まれた詩人、谷川雁(たにがわ・がん)の言葉を借りました。谷川は、自分の存在理由や生きる意味をみつけるために、自身を掘り下げていくことを「段々降りてゆく」と表現しました。

今回出品してくださった7組の作家たちの表現も、ある意味、とても個人的な経験、それに伴う思考や感情、迷いや衝動や興味などがその原点にありました。

それらは個人的ではあるけれども、どれも「周囲との関係の中にある自分という個人」として、ごく自然に、「誰か」や「何か」と関係して生きていく「自分」を引き受けている潔さが感じられました。

 

コロナ禍の今、自粛と経済対策の狭間で生まれた、他人の言動への過剰な反応。指示や要請に成果が出なかったときの非難や揶揄。違う立場への想像力の欠如は、他者への不満や不信、攻撃に繋がっているように思えて胸が塞がります。

 

私はこの展覧会を、このような時代だからこそ、ひとりでも多くの方に観てもらいたいと思っていました。

ひとつには、自分自身の根をしっかり張ることで、「他人」の言動に容易に揺らがない、理由のない不安に陥らないことの強さは、コロナ禍を生きていく上でのヒントになるのではないかと思ったからです。

誰かが言っているとか、誰かがやってくれないではなく、目の前にある問題について自分自身で考えてみること。情報の波に呑まれて自分を見失わないことが、より重要な意味を持つ時代になってきているのではないかと、改めて感じています。

 

もうひとつには、他者の個人的な原点(内面)から生まれた表現の中にある「何か」を感じ、共鳴することが、自分とは違う考え方を受け入れる寛容さに繋がるのではないかと思ったからです。

ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社 2019年)という本に、「エンパシー」という言葉で出てきます。

他人の気持ちに共感するシンパシーとはちょっとニュアンスが違う、同じ気持ちになれなくても、なぜその人がそう考えたのか想像できるのがエンパシー。英語では“Stand in someone’s shoes”-他人の靴を履いてみる-つまり、相手の立場に立って考えることのできる力をエンパシーと言うそうです。

金銭的な困難や雇用主としての苦悩と、いつ果てるともしれぬ危険と隣り合わせでの生命維持のための闘い。どちらかが白とか黒とかではなく、多くの人が様々な事情や背景を抱えて、このコロナ禍を懸命に生きているのだと思います。

それぞれの立場や考え方が違うことを認めた上で理解しようとすることは、他人の言動を安易に攻撃しないことにも繋がるのではないかと思います。

美術館において、ひとつの展覧会を作り上げるには、様々な過程があります。現代の人々に感じてほしいテーマの設定、そのテーマに沿う作家、作品のリサーチ、会場の構成、作品の集荷、広報、展示方法の検討、カタログ執筆等々。特に現代美術の場合、担当学芸員と作家は様々な気持ちや考え方を確認し、共有しながらひとつの展覧会を作り上げていきます。作家の想いを、同じ時代を生きる市民の心に響く形で引き出し、あるときは翻訳しながら、ひとつの展覧会という形ができていくのです。

今回、企画段階において、何人もの作家の名前が上がっては消えました。ギリギリまで検討を重ねていた表現者の出展も断念しました。それは表現の善し悪しではなく、展覧会の文脈を壊さずに、市民にフラットに観せる策を期限までに見いだすことができなかったことが理由で、多くの議論と葛藤の上の決断でした。

様々な迷いや挑戦の上にこの展覧会はできあがっています。展覧会制作にあたっての経緯は、今後改めて、美術館のアーカイブ(Art Gamadas)として残したいと思っています。

 

熊本市現代美術館は今も休館中です。この間、美術館を開けるべきか、私自身の中にはいつも迷いがありました。でも、現代の美術館として、それぞれの事情を抱えて生きている人々のことを思うと、開けるべきと言い切る強さを持てませんでした。

それでも、この「段々降りてゆく」展は、個人的にもとても好きな展覧会でした。コロナ禍だからこそ、多くの方々に、観て、何かを感じ、考えていただきたい展覧会だったと改めて思います。

この展覧会の開催にあたって、企画段階からご協力くださった全ての皆さま、短い期間に観にきてくださった皆さま、楽しみにしてくださっていたのにおいでいただけなかった方、そして何よりも展覧会に出展してくださり、このように生きるエネルギーに溢れた展覧会を担当学芸員とともに作り上げてくださった作家の皆さまに深く感謝いたします。

 

2021年6月18日

熊本市現代美術館副館長 岩﨑千夏

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