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美術館の日常のあれこれをお伝えします。

【特別上映】『坑道の記憶 ~炭坑絵師・山本作兵衛~』
[アフタートーク!]

2022.03.21 ,

3月21日の月曜ロードショー『坑道の記憶 ~炭坑絵師・山本作兵衛~』上映後に、
[アフタートーク!]を行いました。*14時の上映回のみの開催


福岡出身の当館学芸員が、山本作兵衛が暮らした田川のまちの様子から、その炭坑記録画が現代美術家に与えた衝撃までをご紹介した本トーク。

まずは現在のまちの様子について、当館学芸員が田川で撮影した写真を元に話がありました。
炭鉱が閉山し、約50年。駅前の商店街やかつて巨大なバスセンター兼映画館として使用されていた建物の様子から、炭坑都市として栄えた面影が感じられます。
現在の田川には田川市石炭・歴史博物館や田川市立図書館など、文化施設が充実しており、竪坑関係遺跡として旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓も残されています。
まちの記録を残すことに力を入れていることがうかがえました。

旧位登炭坑の近くに住む女性(取材当時99歳)に、当館学芸員が取材した際の証言も紹介されました。
トーク前に上映した映画では、作兵衛を〈世界記憶遺産に登録された炭鉱記録画を描いた人物〉として紹介していたため、当時を知る人が語る話からは、映画で紹介されなかった作兵衛の側面やまちの暮らしのについて知ることができました。

 

次に、炭坑記録画が現代美術家に与えた衝撃について話がありました。
衝撃を受けた現代美術家として紹介されたのは代表作《奴隷系図》や「九州派」の一員だったことで知られる菊畑茂久馬。
菊畑は作家の上野英信を訪ねた際に、初めて作兵衛の画集を見て衝撃を受けたそうです。
「私が今までやってきた仕事の冒険は、この作兵衛さんの、⼤きな⼈間世界と歴史を相⼿にした膨⼤な絵を⾒た時にすっかり⾊あせてしまった。」
(菊畑茂久⾺「現代絵画の死⾓」 「⻄⽇本新聞」、1969年ごろ)

菊畑は作兵衛の炭坑記録画を記録としてではなく、絵そのものとして評価していたことも紹介されました。
「私は彼の絵の中に展開される炭鉱のさまざまな事象にはほとんど興味がない。興味がないどころか、この“炭鉱の記録”をこそ剥奪して、なお余りある絵画の存亡を賭けた⾃棲の秘術をこそ⾒届けたい。」
(菊畑茂久⾺「絵画の存亡を賭けた⾃棲の秘術」 『⼭本作兵衛画⽂:筑豊炭坑絵巻』差込しおり 1973年、葦書房)

美学校で菊畑が教鞭をとった際、授業で炭坑記録画の模写を行ったことについても話がありました。
模写した炭坑記録画の数は200点以上。完成したのは高さ2.6m、幅1.9mの大作9点。
油絵具で模写したこの大壁画は、現在田川市立図書館と田川市石炭・歴史博物館の館内に展示されています。
当館でも2003年に開催した展覧会「九州力」で展示したことがあります。

 

最後に、炭鉱に関係した作品、作家、文献の紹介がありました。

1958年から1961年まで筑豊を拠点に発行されたサークル交流誌『サークル村』。
土門拳の写真集『筑豊のこどもたち』(1959年、パトリア書店)。
1981年公開の東映映画『青春の門』。
作兵衛と同じく炭坑夫の経験があり、炭坑を描いた井上為次郎、上田博、千田梅二。
筑豊出身の美術家として紹介された野⾒⼭暁治、タイガー⽴⽯。
炭鉱と美術に関して掘り下げるための文献『‘文化’資源としての〈炭鉱〉展 〈ヤマ〉の美術・写真・グラフィック・映画』(2009年、⽬⿊区美術館)、国盛⿇⾐佳『炭鉱と美術』(2020年、九州⼤学出版会)。

田川のまちの話、菊畑と炭坑記録画の話が中心となった本トーク。
最後に紹介された作品、作家、文献は炭鉱と美術についてより知見を深めるための手がかりとなるものになりました。

 

会場入り口には当館所蔵の関連書籍などを自由に閲覧できるスペースを設けました。

以下、書籍の情報となります。
『王国と闇 山本作兵衛炭坑画集』(1981年、葦書房)
『新装版 画文集 炭鉱に生きる 地の底の人生記録』(2011年、講談社)
『まっくら 女坑夫からの聞き書き』(2021年、岩波文庫)
『山本作兵衛展』(1996年、田川市美術館)
『絵本 筑豊一代』(2021年、石風社)
『段々降りてゆく 九州の地に根を張る7組の表現者』(2021年、熊本市現代美術館)

 

【参加数25人】

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