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美術館の日常のあれこれをお伝えします。

私は一足先に展覧会を拝見しました。和田誠さんの幅広い作品の中には、なんとなく「これも見たことがある」「あれも見たことがある」というのがたくさんありました。しかし見たことがないものもありました。それは4歳のときのドローイングとか、大学時代の課題の作品とかです。多摩美術大学アートアーカイヴセンターに収蔵されているそうです。小さな4歳の頃の作品、小学生、高校生の頃の作品、そこから一貫して83歳までつながっているものが一堂に見られるというダイナミックさ。これは美術館の展覧会ならではの、俯瞰できる和田誠の世界を感じられるものであり、美術館の役割がここにあると感じました。

和田誠さんの仕事は、週刊誌の表紙、ポスター、パッケージ、書籍の装丁、グッズなど、巷にはたくさんあります。今でも継続しているものもたくさんあります。そういうものが、時代を形づくっていった創成期であり、早熟にして長い時間、一線を走り続けていた和田誠さんの作品だと思います。私もスタートはイラストレーションの仕事から始めました。1982年の頃です。もうすでに和田誠さんはイラストレーションをされていて、私からみると本当に憧れの方々の一人でした。和田さんは『週刊文春』の表紙を40年されていましたが、同じ頃、『週刊新潮』は谷内六郎さんがされていました。みなさんも記憶にあると思います。毎週、和田誠さんの絵と谷内六郎さんの絵が出ている頃がありました。そんなときに、私も『週刊読売』の表紙を3年間くらいしたことがありました。書店に行くと、「和田誠、谷内六郎、日比野克彦」と並んでいるんです。一瞬、そこが展覧会のように見えて、自分もがんばろうと思いました。毎週絵が変わっていくおもしろさを本屋で眺めていた時代があったことを、『週刊文春』の表紙を見ながら思い出していました。

そして、私も東京藝術大学に行く前の一年間、多摩美術大学に行っていた時代がありました。様々な課題がありましたが、和田さんの作品の中にエッチングの作品がありました。私も多摩美術大学の1年生のときにつくったのと同じくらいのサイズでした。学生時代から活躍するまでを、自分の中で反芻しました。私は64歳になりますが、和田誠さんはその頃何をやっていたかな?というのも見たりしました。どの作品を見ても、自分とすり合わせながら見ることができた展覧会です。
4歳のときのドローイングとか、小学校のときのマンガとかを見て、「私もマンガ描いていたな」ということを思いました。和田さんは几帳面な性格で、きちんと箱にとっていたそうです。自分の描いたものが愛おしいという気持ち、描いている時間がとても幸せな時間だったということは、充分想像できます。きっと締切に追われたこともあったとはいえ、和田さんの線とか塗り方とかを見ていると、本当に楽しみながらその世界に没入しながら描いていた時間だったのだと思います。

映画監督からアートディレクションまで多種多様なことをされていますが、和田さん本人にしてみれば、「別に何も変わらないんだ」と言われるのではないかと思います。それぞれの世界で働かせる能力が、そのまま映画や本になる。基本的には一枚の絵を描くということがベースにあり、出版社と組めば書籍になり、映画関係者と組めば映像になったのだと思います。
私も和田誠さんにお会いしたことがありますが、本当にすごくやさしい穏やかな方でした。絵を描くことがとても大好きな方。その絵を見て、「こんなことやってみない?」という方が周りに多く、その人と一緒に作品をつくっていくことで、結果的にいろんなことをやっているという評価につながっているのだと思います。

展覧会も表現の一つメディアです。東京で立ち上がり、熊本は2会場目です。この後も巡回していきます。ぜひ熊本のみなさんにもたくさん和田誠の世界を感じて楽しんでいただきたいと思います。

日比野克彦

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