9月27日、熊本市現代美術館のホームギャラリーで、臓器移植について考えるトークイベントを開催しました。
タイトルは、「もの」と「こと」を往ったり復たり-人生の後に残るものごとに思いを馳せる-。人の生と死をアートと医療の両面から考えてみようという試みでした。
登壇者は、熊本県で唯一の臓器移植コーディネーターの吉田清美さんと、東京藝術大学先端芸術表現科出身で、今年度から熊本版文化的処方の研究開発に携わっている伊勢康之さん。ファシリテーターは、東京藝術大学で履修証明プログラムDiversity on the Arts Projectを担当されていて、ご専門はボランティア人類学である藤原旅人さんにお願いしました。
まず、藤原さんから、これまでのアートの分野では、とかく「もの」をつくって、「もの」を鑑賞して、「もの」そのものに価値があるように思われがちだけれど、最近の大きな動きとして、「もの」の向こうにある「こと」に価値がある作品やプロジェクトが増えているのではないか、という問いを出されました。
伊勢さんは、東京藝術大学の学生時代のことを思い返して、自分は「もの」をつくることに興味があると思っていたけれど、実は「こと」を起こすために「もの」をつくっていたのではないか、と語ってくれました。今から振り返ると、自分自身は「もの」をつくるというよりも、「器」をつくるのが好きだったのではないか。「器」をつくることによって、その中を人が自由に行き来してコミュニケーションが生まれ、「こと」が起きる、そのためのお膳立てをすることに喜びを感じていたというお話を伺いました。
次に吉田さんが移植医療の側から、臓器移植コーディネーターとは、脳死状態になった方のご家族と、最後の迎え方を一緒に考える人というご説明いただきました。1週間ほどの限られた時間の中で、ご本人がどのような人だったのか、ご本人の性格や、こんな時にどんな選択をするのかをご家族が考える時間に伴走する役であること、ご本人の最後をどう締めくくるべきか迷っているご家族に対して、大事なご家族だからこそ、みんなで一生懸命考えたという「こと」、その時間を確保するという役割を、臓器移植コーディネーターは持っているというお話を伺いました。
家族が死に往こうとしているとき、とても正常な精神状態ではないご家族に対して、その個人を思い出すという「こと」を促す「場」をつくるというのは、とても難しいことだと思います。しかし吉田さんの話は、「こと」が起きる「器」をつくる伊勢さんの態度と、とても親しいようにも感じました。
次に藤原さんから、現代社会において「こと」を考える時間が減ってきていて、考えることをしなくても良い状況が増えているので、自分が何を見ているのかわからなくなりがちであるという問題が提起されました。それに対して伊勢さんからは、自分のことを信じて良い、自分にとって何が大切かを考える、そのような思考のトレーニングをする場所として、美術館はとても向いているのだと言っていただきました。
また、吉田さんからは、人の痛みは人それぞれ違う、だからこそ、ご家族それぞれの痛みに伴走しながら家族で納得するまで話し、考え、総意をまとめる時間が大事であるというお話がありました。
今回、アートと臓器移植という、それぞれの立場から語っていただきました。
最初、アートと医療は、まったく異なるものにしか見えませんでしたが、3人のお話を聞くうちに、目に見える「もの」のむこうにある「こと」或いは、その「こと」のよすがとしての「もの」、「もの」や「こと」に対する一人ひとりの想いによって、その価値が大きく変化するものであると感じました。
また、誰かについて、或いは何かについて、一生懸命考えるということは、例えそこにひとつの答えが出なかったとしても、考えたという事実それ自体がとても豊かなことであることを実感しました。これからも皆さんとともに、そこにある「もの」や「こと」について、一生懸命考える美術館でありたいと思います。(40名)
